雑司が谷(池袋)
造幣東京博物館〜雑司が谷霊園〜旧宣教師館〜鬼子母神堂



豊島区池袋の東口、サンシャイン60というビルのある若者たちで賑わう街の
すぐ近くに、「雑司が谷」という一角があります。 墓地と鬼子母神で有名な
菊池寛などの文人たちが愛した、静けさと歴史のまち。

池袋の喧騒のすぐ近くに、こんなに ゆったりと時が流れる空間があるなんて。
それでは、都電荒川線のチンチン電車 に揺られて、出発です。


■向原

 都電荒川線の「向原駅」で降りて、雑司が谷方向に向かいます。
 「雑司が谷駅」は2つ先だけど、あえて沿線の雰囲気を味わいたい。
 しばらく線路に沿って路地裏を進みます。

 そうそう、交通を妨害しない裏路地にあるので、荒川線は都内で
 唯一残ることが出来たのです。

■味のある家

 このような、なんとも味のある家屋などを見ながら、東池袋の
 造幣局に向かいます。

■独立行政法人 造幣局

 昔の大蔵省造幣局。平成15年4月1日から、独立行政法人となりました。
 貨幣や勲章・褒章の製造、貴金属製品の品位証明などを行っています。
 土日は入れないのですが、運良くこの日は「造幣フェア」を開催していて
 入ることができました。


    独立行政法人 造幣局 HP http://www.mint.go.jp/


■造幣東京博物館

 敷地内にある造幣東京博物館。
 造幣の歴史を辿ることができます。 さっそく入って見ましょう。

■金貨

 金本位制最後の金貨。 昭和5年から7年に発行された幻の金貨。
 ほとんどが、海外に流出してしまったそうです。


■辞令

 明治政府の大蔵大臣、大隈重信からの辞令。
 相手の名は外人ですね。技術は外国から教わっていたらしい。
 今や、日本の造幣技術は世界一となりました。

■キャラクターの貨幣セット

 平成15年に独立行政法人になってから、国民に喜ばれる
 努力の一環として、キャラクターの貨幣セットの造幣、販売を
 始めました。

 この写真のセットのほかにも、
 「ハローキティ誕生30周年2004貨幣セット」、
 「ドラえもん誕生35周年2005貨幣セット」、
 「くまのプーさんとなかまたち 夢と冒険の80年 2006貨幣セット」
 などがありました。 アトムが欲しい…




■1円銀貨

 1円って、使用したら1円なんでしょうかねえ。たしかあまり昔の
 ものは使用できないと思ったけど。
 ネットで調べてみたら、明治3年製が260,000円、明治7年製が
 500,000円でした。保存状態によって一概に値段は付けられない
 だろうけど、この写真の明治2年製はいくらかな?

■東京オリンピック

 オリンピックのメダルもありました。
 造幣局で製造したのかな。

■長野オリンピック

 これは記憶に新しい。


■貨幣の製造工場

 ここは敷地内の工場の中。
 このような作業机が縦に沢山並んでいました。
 主に「プルーフ貨幣」や「カラーコイン」を作っているようです。

■100円の「プルーフ貨幣」

 「プルーフ貨幣」は、より美しく鑑賞するため、表面を鏡のように
 磨いたもの。流通している貨幣とデザインは同じで、市中で使用する
 こともできます。

■雑司が谷霊園

 雑司が谷霊園は、明治7年に開設した面積11万平方mの
 都立霊園です。 明治政府の自葬禁止を受けて開設された共葬墓地。

 著名人が数多く埋葬されています。
 それでは墓石ツアーへ。  

■江戸家猫八

 コオロギやスグイスの鳴き真似で有名だった芸人。
 TAKEも子供の頃に練習してみたけど、およびでなかった。
 因みに子供は江戸家小猫。・・・と思ってよく見たら「初代」とある。

 TAKEの知っている猫八は3代目でした。3代目も鬼籍に入っているので、
 近くに墓石があったのかな?

■大川橋蔵

 ご存知、神田明神下の銭形平次。涼しげな目元が印象的でした。
 TAKEの父親が時代劇ファンだったので、毎週見ていました。
 恋女房のお静のような女性に憧れたものでした。1984年、55歳の若さで永眠。  

 

■東條英機

 現役軍人のまま第40代内閣総理大臣(昭和16年10月18日 - 昭和19年7月18日)
 に就任。敗戦後に行われた東京裁判でA級戦犯とされ、軍国主義の代表人物と
 して処刑された。

 

■永井荷風

 明治12年〜昭和34年。小説家。TAKEは、彼は散歩の神様ではないかと思っている。
 玉の井遊郭の遊女を描いた「墨東綺譚」が有名(墨にはさんずいが付くが表記できず) 
 浅草通いで有名。浅草のレストラン「アリゾナ」など特定の店に執着する。

   

■竹久夢二

 明治17年〜昭和9年。ご存知、竹久夢二は雑司が谷に葬られていたんですね。
 結核で入院し「ありがとう」の言葉を最後に49歳11か月の生涯を閉じています。

 



  ■夏目漱石

   ご存知、「坊ちゃん」「我輩は猫である」でお馴染みの文豪。 慶応3年〜大正5年。
    死因は胃潰瘍による大内出血だが、最期の言葉は、胸をはだけて
   「ここに水をかけてくれ!死ぬと困るから!」だという。


 


■ジョン万次郎

文政10年(1827年)- 明治31年。中濱万次郎。
14歳の時に漁に出たあと遭難し鳥島に漂着。アメリカの捕鯨船に助けられ
アメリカへ。英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学ぶ。
その後鎖国中の日本への帰国を果たし、通訳などで幕末に活躍した。
日本で初めて鉄道・蒸気船に乗り、ネクタイを締めた人である。



■彼岸花

 いかがでしたか。 結構有名な人の墓がありました。
 お墓を探すのはとても大変でした。
 その人の作品とか伝記とかを併せて調べるとより楽しめます。

■旧宣教師館通り

 お墓を抜けて路地を入っていくと、旧宣教師館通りがあります。
 「宣教師館」って何だろう?。



■旧宣教師館

 明治40年にアメリカ人宣教師のJ・M・マッケーレブが建てたものです。
 当時の人からは、さぞかしモダンに見えたことでしょう。

 19世紀後半のアメリカ郊外型住宅で、シングル様式ということです。
 建物の中をお見せできないのが残念ですが、財閥所有の洋館と違って
 質素で、暖かい家庭的な空間でした。



■旧宣教師館

 東京都指定の有形文化財。全国にこのような宣教師館は沢山あった
 そうですが、いまは残り少なくなっているようです。


     ジョン・ムーディ・マッケレブ John Moody McCaleb
     (1861.09.25―1953.11.01)
     米国テネシー州ナッシュビル生まれ


■南池袋3丁目

 それでは、鬼子母神堂に向かいましょう。
 その前に路地猫にご挨拶。

■鬼子母神堂

路地をくねくね歩いていたら、鬼子母神らしき社が見えてきました。
幟にある文字をみて、やっと鬼子母神と確認できました。

  鬼子母神堂 HP http://www.kishimojin.jp/


■武芳稲荷

 かつてこの辺りが「稲荷の森」呼ばれていた名残を伝える
 お稲荷さんが境内の中にありました。
 写真右は、本堂右手にある鬼子母神像。

■鬼子母神堂

昭和51年から54年に、江戸時代の姿に復する解体復元の大修理が
行われました。
鬼子母神は安産・子育(こやす)の神様として広く信仰されています。

■駄菓子屋さん

 境内には上川口屋という都内最古(元録年間以来の営業)の
 駄菓子屋さんがあります。ここのおばちゃんで13代目だそうです。

■大黒堂

 境内の大黒堂ですが、日曜日と縁日には堂内で「おせん団子」
 が楽しめます。鬼子母神に千人の子供がいたことにあやかり、
 たくさんの子宝に恵まれるようにということで「お千」。
 江戸時代に親しまれていた団子を、日暮里の羽二重団子
 本舗が復活させました。

■おせん団子

 日暮里は根岸の老舗「羽二重団子」の味に似ているなあ、と
 思っていたら、そこの会社の製造と聞いてびっくり。どうりで・・・

 美味しかったです。

■鬼子母神堂

 それではお参りしましょう。
 思えば平成14年1月から散歩をはじめて6年間。宗派を超えて、
 多くのお寺、神社、教会にお参りしてきました。ご加護に感謝。

■鬼子母神由来

  その昔、鬼子母神はインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、夜叉神の娘で
 嫁いで多くの子供を産みました。しかし性格は残虐で、近隣の幼児をとって
 食べるので、恐れられ憎まれていました。

  お釈迦様は、その過ちから訶梨帝母を救うため、末の子を隠してしまいました。
 嘆き悲しむ訶梨帝母の様子を見て、お釈迦様は、「千人のうちの一子を失うも
 かくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」
 と戒めました。

  そこで帝母ははじめて過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神と
 なることを誓い、人々に尊崇されるようになったとされています。

■音羽屋

 すすきの穂で作った「すすきみみずく」は、鬼子母神に古くから伝わる郷土玩具。
 現在では、手作りで商っているのはここ音羽屋さんだけ。
 残念ながら立ち寄ったときには既に閉店していました。

 今日も一日楽しかった。さて、都電荒川線に乗って帰るとしましょう。

撮影データ
2007.10.07, SONY α100 DSLR-A100



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