谷中七福神


 





谷中七福神は、台東区・荒川区・北区にまたがった7つの寺院に
祀られている七福神の巡礼札所です。およそ250年前に始まった
江戸最古の七福神と言われています。

そもそも七福神は、上野の寛永寺を開いた天海僧正が発案したもの。
天海に「公は、長寿、富財、人望、正直、愛敬、威光、大量の七福を
具えておりますな。まさに七福の神様の御徳を表していると申せ
ましょう」などとおだてられ、徳川家康は「お前いいこと言うなあ」
と大喜び。早速、狩野探幽に七福神の絵を描かせて尊崇させたという
話が残っています。

うんちくはこのくらいにして、当時の江戸っ子のつもりになって、戦前の
佇まいの残る町並みを楽しみながら、七福神参りに出かけましょう !

イラスト提供 : 猫野みいこ「ウキウキ七福神」
  http://www003.upp.so-net.ne.jp/cute/7hukuzin.htm







■都バスで行かない谷中七福神めぐり

 年末に読んだこのチラシからすべては始まりました。
 いつか七福神めぐりをしてみたいと、なんとなく思っていましたが、
 このちらしを見て、正月特製の台紙にご朱印がもらえるというところに
 惹かれました。 それに年の初めの散歩としては、何だかお目出度い
 気もするし。  

 という訳で、上野駅に向け出発です。




   弁才天 (弁財天)   御利益 「愛 嬌」


 元はインド・ヒンドゥー教の女神、サラスヴァティー神。 水・河の女神。
 河の流れる音の連想から音楽神。 弁舌、学問、音楽などの芸術の神。

                 不忍池 弁天堂   ・・・ 台東区上野公園2-1 


■不忍池

 上野恩賜公園にある天然の池です。
 一面が蓮で覆われている蓮池。

■弁天堂

 比叡山延暦寺に対応させ、この地に寛永寺が建立された。
 開祖である天海僧正は、不忍池を琵琶湖に見立て、竹生島に
 なぞらえて弁天島(中之島)を築かせ、弁天堂を作った。

■骨董市

 湖畔では骨董市が開かれていました。




■弁天島

 弁天島にはユニークな石碑が多いことで知られています。

  例えば、「ふぐ供養碑」「スッポン感謝の碑」
       「暦塚(中曽根康弘筆)」
       「包丁塚」「鳥塚」「魚塚」「めがねの碑」 など



■弁天堂

 さて、いよいよ弁天堂です。
 実はここにお参りするのは4回目。中に入って写真撮影可。
 弁天様の琵琶でしょうか。



■弁天堂

 「写真が上手くなりますように」

 お賽銭をあげてお参りしたら、
 さらに奥の畳にあがってみましょう。


  ■弁天様がなんだか怖い(^_^;

   分かりにくいですが、琵琶じゃなくて、剣を持ってますねえ。

    Wikipediaによれば、 「像容は8臂像と2臂像の2つに大別される。
      8臂像は8本の手に弓、矢、矛(ほこ)、鉄輪、羂索(けんさく)などを持つと説かれる。
      一方、2臂で琵琶を奏する形の像は、密教で用いる両界曼荼羅のうちの胎蔵曼荼羅中にその姿が見える。」


   分かったような、分からないような・・・



■天井画

 児玉希望(明治31年〜昭和46年)の金竜 だそうです。
 天井は見落としがちですが、かなりの迫力なので忘れずに。




   大黒天   御利益 「富 財」


 元はインド・ヒンドゥー教のシヴァの憤怒の化身「マハーカーラ」。
 マハーカーラは「偉大な暗黒」という意味から「大黒天」。
              日本では、大黒の「だいこく」が「大国」に通じるため、神道の神である大国主と混同され、
              習合して信仰されるようになった。いつしか怒りの表情が笑顔に変わっている。
              台所、財宝、食料(豊作)を司る神様。  

                 護国院   ・・・ 台東区上野公園10-18 


■護国院

 天海僧正の弟子生順により寛永2年 1625年に創建された、
 寛永寺の子院。 本堂は火災に遭ったが、享保7年 1722年に再建。

■護国院

 今回撮影はしていませんが、本尊は大黒様ではなく、
 釈迦三尊座像だそうです。


■木造の大黒天

もともとはダークサイドの戦争神だったのに、
どこでどうなって、頭巾、打ちでの小槌、大袋のアイテム
を持ち、米俵の上に座るようになったのか・・・

■大黒天画

 この絵は、藤原信実筆、3代将軍家光の奉納と言われています。

 このほかにも重文の宝物などもあるようですが、今回は七福神モード
 になっていて、見落としました。残念。




■愛玉子

 言問通りを渡り、谷中霊園のほうに進むと、右手に見えてくる喫茶店(?)
 「オーギョーチイ」と読み、台湾産のイチジクに似た果実の名前。
 その果汁を寒天状に固めレモンシロップをかけたデザートが有名です。
 TAKEは食べたことがありませんが、気になっているお店です。

■スーパーマン

 スーパーマンが谷中の街を守っていてくれました。
 なんとなく何かがあるような気がして入った路地
 にありました。
 街歩きを6年もしているとカンが冴えるときがあります。




   寿老人   御利益 「長 寿」


 中国の道教の神で南極星の化身の老子。 酒好きで赤ら顔をした長寿の神。
 福禄寿と同一神とも。財宝、子宝、諸病平癒にも御利益あり。

                 長安寺   ・・・ 台東区谷中5-2-22 


■長安寺

寛文9年 1669年に老山和尚により開創。
本尊は寿老人ではなく、千手観世音菩薩。

■長安寺境内にて

 長安寺の寿老人は、徳川家康が納めたものとされる。
 等身大の寄木彫刻。

   等身大・・・ 身の丈三尺(約90センチ)といわれています

 ■寿老人

  長い頭に長い白髭。 長寿を記した巻物をつけた杖を持つ。
  不死の霊薬を入れた瓢箪を運び、不老長寿の桃を持っている。
  長寿の象徴とされる鹿である玄鹿(げんろく)を従えている。
  この鹿はなんと1500歳で、その肉を食すると数百年寿命が延びるそうです。



■長安寺

 長安寺は、死者を弔う鎌倉時代の板碑(台東区有形文化財)や、
 明治期の日本画家である狩野芳崖の墓でも有名です。




   毘沙門天   御利益 「威 光」


 元はインドのクヴェーラ神(日本の金毘羅の原型)で、これが仏教の神の
 ヴァイシュラヴァナ(多聞天)になり日本では毘沙門天と呼ばれる。
               甲冑をつけ、手にはヤリを待つ軍神。戦勝祈願だけでなく、宝物、財物、幸運を運ぶ。

                 天王寺   ・・・ 台東区谷中7-14-8 


■天王寺五重塔跡

 谷中霊園の中を進んでいくと、交番の横に写真のような
 史跡を示す石柱があります。天王寺にあった五重の塔の
 跡地です。もちろん石の基礎の跡しか残っていません。

 1957年(昭和32年)の放火心中事件により焼失してしまったのです。

■谷中五重塔放火心中事件

 左は在りし日の写真ですが、幸田露伴の小説「五重塔」のモデル
 になるなど有名な塔でした。しかし、1957年(昭和32年)7月6日の
 早朝に炎上し焼失しました。焼け跡から男女の焼死体が発見され
 ました。不倫関係の清算を図るための焼身自殺でした。

 この前の代の塔も1772年の明和の大火(目黒行人坂大火)により
 焼失しています。



■天王寺

 天王寺は江戸時代には富くじで有名でした。
 焼失した五重塔の残材で作った毘沙門堂をつくり、
 ご本尊の最澄作の毘沙門天を祀りました。



■毘沙門堂

 これが毘沙門堂です。五重塔の材木で作られていると
 このときは知りませんでした。

■毘沙門天

 シルエットになってあまり良く見えなかったけど、
 なんだか迫力がありました。



■毘沙門天

 ご朱印をいただく部屋への入口と中にあった写真。
 邪鬼を踏み、左手に宝塔、右手に宝棒を握っています。






■諏訪台通り

 諏訪台通りに出て、修性院に向かいます。
 種を越えた友情が芽生える素敵なお家。

■昭和幻影

 TAKEが小さい頃はこのような家が多かった。
 あの頃に戻って、東京の町を歩いてみたい。

■観音寺の築地塀

 築200年以上。強度を上げるために瓦が埋め込まれています。
 平成 4年(1992年)台東区まちかど賞を受賞。

 お侍さんや町人が歩いている様子が目に浮かびます。

■お手軽な七福神

 いいですなあ。こういう小物は。
 和みます。



■谷中 富士見坂

 東京23区で実際に富士山が見える富士見坂はここだけ。
 ここには4回ほど来てるけど、見えたことがないです。
 正月の澄んだ空気で見えるかなと思ったんだけれど・・・

■屋上は月の砂漠

 何故に駱駝が・・・?




   布 袋 尊   御利益 「大 量」


 太鼓腹、福耳、大きな袋がトレードマーク。中国は唐の時代の「釈契此(しゃくかいし)」
 という常に袋を背負っていた僧がモデル。なんと実在していたとは !
              堪忍と和合を教える神であり、弥勒菩薩の生まれ変わりともいわれています。  

                 修性院(しゅしょういん)   ・・・ 荒川区西日暮里3-7-12 


■日ぐらしの布袋

 日暮里という地名の由来である「ひぐらしの里」から
 「日ぐらしの布袋」と呼ばれて江戸町民から親しまれていました。
 ひぐらしの里は江戸の有名な行楽地でした。

■修性院

 修性院は「花見寺」として知られ、四季折々の花を楽しむ江戸町民
 に親しまれていました。
 また、狩に来た将軍が食事をしたところだそうです。

 ■布袋尊

  なんという福福しさでしょう。
  「見ていると日が暮れる」という言い伝えが頷けます。



■修性院

 修性院の塀の絵もほのぼのしています。

■酒屋さん

 次はすぐ隣にある「青雲寺」に向かいます。
 青雲寺も修性院と同様「花見寺」と呼ばれていました。




   恵比寿神   御利益 「正 直」


 漁業・大漁の神。福の神。商売繁盛、五穀豊をもたらす商業、農業の神。
 夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須などとも書く。えべっさん。七福神で唯一の日本の神様。

                 青雲寺   ・・・ 荒川区西日暮里3-6-4


■青雲寺

 ここも「花見寺」と呼ばれ、江戸時代に賑わいました。
 滝沢馬琴、狂歌師の安井甘露庵など、江戸の文人の碑が多くあります。

■青雲寺

 花見寺ともいうように、「しだれ桜」で有名らしいのですが、
 ご覧の通り、まだ「しだれ枝」状態です。

 ■恵比寿神

  烏帽子、狩衣(かりぎぬ)を身につけ、右手に釣竿、左手に鯛。
  正月以外は拝顔できないとか。他の寺もそうかも。



■滝沢馬琴(曲亭馬琴)の筆塚の碑

 「 南総里見八犬伝 」 を書いたとき使ったという筆が供養。
 されています。硯塚もあるらしいけれど、見落としました。

 「曲亭馬琴」は、読み方を変えると「くるわでまこと」(廓で誠)
 遊廓でまじめに遊女に尽くしてしまう野暮な男という意味である。(出典: Wikipedia)

■花見寺

 さあ、七福神もあと一人。「福禄寿」のみになりました。
 福禄寿の東覚寺は北区田端にあります。
 荒川区西日暮里の青雲寺からは、ちょうど一駅分歩きます。




   福禄寿   御利益 「人 望」


 道教の宋の道士。道教の神で南極星の化身の寿老人の別名とも。幸福、封禄、長寿の三徳を具現化。
 鶴と鹿と桃を伴い福・禄・寿を象徴する。頭が長くて、白くて長いヒゲ。

                 東覚寺   ・・・ 北区田端2-7-3 


■東覚寺

 室町時代創建の古刹です。  真言宗豊山派で本尊は不動明王像。
 福禄寿は本堂ではなくて、寺務所の中に祭られています。

■不動堂前の赤紙仁王

 福禄寿に会う前に、赤紙仁王像を見学しましょう。真っ赤な紙が沢山
 貼ってある異様な塊が二つ。これが赤紙仁王です。自分の体の悪いところ
 と仁王の同じところに貼ると病気が治るといわれています。

■草鞋 ?

 祈願が満願したらお礼に草鞋を供えます。
 病人、祈願者のもとへ行くので、さぞかし草鞋が必要だろう
 という思いやりからだと書いてあります。



■東覚寺本堂



■福禄寿

 福禄寿は社務所の中にあります。
 帽子を被っていて、長い頭が見えません。 鶴と鹿と桃もなし。
 なにやら経文らしきものを捧げているようです。



■東覚寺

 これで七福神すべてを巡りました。
 下の写真にように、ご朱印も揃いました。 満足感というか達成感というか。
 さて、どこかで酒でも飲んでお祝いしましょうか。



  ■正月特製の台紙

   なかなか立派でしょう。
   後日、これを額に入れて飾りました。今年もいいことがありますように !!



撮影データ
2008.01.05, SONY α700 DSLR-A700



inserted by FC2 system