柳 橋
神田川が隅田川と合流する直前の橋、それが「柳橋」です。
名前の由来はいくつかあるけど、「橋の袂で風にそよぐ柳」が絵になりそう。
「春の夜や女見返る柳橋」 子規
■薬研堀不動尊
正式には、「川崎大師東京別院 薬研堀不動院」
都営地下鉄線・東日本橋駅から100m
江戸時代から続く納めの歳の市(毎年12月27・28・29日)が有名。
衣料品・靴・ハンドバッグなどが市価の半額とか。
薬研堀(やげんぼり)と呼ばれる堀の名から来ているのかな。
■浅草橋
ネットで調べて驚いた。明暦の大火のとき、伝馬町の牢人が脱走したという噂から、
浅草側に避難しようとする群集が行き場を失い、数万人?の死者を出した橋でした。
この橋から柳橋を眺めると、のんびり浮かぶ屋形船が一望に。
■柳橋
浅草橋から柳橋まで、神田川の両側には船宿が並んでいます。
川面には屋形船が沢山停泊していました。夕方には隅田川に出て行くのかな。
歓楽街の両国が目の前で、吉原への渡船場でもあるロケーションから
花街として発展しました。昭和初期まで、料亭や船宿などが建ち並んでいました。
■舟宿小松屋
舟宿、屋形船の小松屋さん。
昭和2年に柳橋のたもとに引っ越してきたそうです。
いかにも「舟宿」という粋な佇まいです。
いつか屋形船にのって、大川で江戸風情に浸りたいと思っています。
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橋の向こうの茶色いビルには、料亭「亀清楼」が入っています。
■柳橋夜景(2010年1月撮影)
■町名由来
神田川が大川(隅田川)にそそぐところなので、川口出口之橋とか矢の倉橋とか
呼ばれていたという。
「柳橋」という名の由来については、
(1)「矢の倉橋」が変化したもの
(2) 柳が並ぶ柳原堤の端にあることから
(3) 橋のたもとに柳が1本あったことから
など諸説があります。
■石塚稲荷
入り口の柱に「柳橋料亭組合」、「柳橋藝妓組合」と彫ってあります。
芸者さんの組合は、1999年に解散してしまったとか。
この写真では読みにくいですが、「亀清」という文字があります。
これは料亭「亀清楼」として今も営業しています。創業は安政元年。
■両国橋
「明暦の大火」により浅草橋で避難路を絶たれた江戸市民が犠牲となった事態を受け、千住大橋以南としては
初めて大川に架けられた橋です。
「武蔵・下総の両国を結ぶ橋」なので、いつしか両国橋と呼ばれるようになりました。
橋の両側の橋詰には防災の観点から広小路が設けられ、多数の飲食店や見世物小屋が並び、
橋の上や舟から眺める川開きの花火が名物となりました。
■広重「名所江戸百景」両国橋大川ばた ■江戸東京博物館
撮影データ
2005.11.20 , 2010.1.9 , NIKON D70