上野公園周辺



いったい、何処から何処までが「上野公園」の範囲なのかTAKEには分からないが、上野のお山を中心に
あちらこちらで切り取った点景をとりとめもなく並べてみた。名所、旧跡、文化施設… 上野公園周辺は
見所満載なので、これはほんの一部。 本当は上野に集う老若男女の笑顔が一番の被写体だったりするのだが、
今回は観光地的説明写真を中心に並べてみた。 上野は今後も行くので、写真を徐々に増やしていきたい。




上野の山は大道芸人でいっぱい
でも、バグパイブってのは珍しい


このアンデス風の人たちは銀座にもよく出没している


演奏レベルはまさに"プロ" ウキウキした気分にさせてくれる


余談だがTAKEはラムネが大好き
見かけると飲まずにはいられない


この細長風船の技は、昔も縁日などで見かけた
縁日ではピエロじゃなかったけど



小松宮親王像

乃木大将かなと思ったら、明治維新の功労者、東征大将軍で、
日本赤十字社にも貢献した、小松宮彰仁親王の騎馬像であった


下町風俗資料館

不忍池の蓮池のすぐ際にある
江戸風情をとどめる昔の下町の街並みを再現している


下町風俗資料館HP  http://www.taitocity.net/taito/shitamachi/


いかにも昔の表紙絵だけど、当時はハイカラに見えたのかな

  平凡 1945年創刊
  婦人倶楽部 1920年(大正9)創刊
  主婦の友 1917年(大正6年)創刊


学童疎開出発前の少女写真
両親とのしばしの別れに際して写したものか


子供の頃の我が家と大差がないような…



駄菓子屋さん


東京都美術館のテラス

この横に屋外喫茶コーナーがあって、まったりできる


東京都美術館

この日は、大判写真展が開かれていた


国立博物館敷地内の旧因州池田屋敷表門
表通りからも見ることができる


旧因州池田屋敷表門の向うに見えた梅の木のアップ


旧東京音楽学校奏楽堂

明治23年に創建された日本最古の木造洋式音楽ホール


東京芸術大学音楽学部の前身である東京音楽学校の施設だった


昭和62年に台東区により現在地に移築された


2階の音楽ホール

滝廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌い、三浦環が
日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台



このパイプオルガンは、大正9年に徳川頼貞侯が英国から購入、
昭和3年に東京音楽学校に寄贈したもの


アボット・スミス社製でパイプ総数1,379本
世界でも珍しい空気式アクション機構とのこと


昭和63年に国の重要文化財に指定


桃林堂 (とうりんどう)
公園から少し出て、東京芸大前の甘味処で一休み


「小鯛焼」が名物のようだが、この日は季節限定の桜餅をいただくことに


下町風俗資料館付設展示場

谷中6丁目で江戸時代から続く酒屋「吉田屋」の建物を移築したもの


明治43年に建てられたものだが、江戸商家の特徴を持つ建築物




吉田屋の庭先には江戸時代のお地蔵様が祀られていた






吉田屋内の帳場


秤・漏斗・枡・樽・徳利・宣伝用ポスターや看板など
酒類の販売に用いる道具や商いに関する資料が展示されている


清水観音堂

再び上野公園内へ
寛永8年(1631年)に京都の清水寺に倣って建立されたお堂


因みに上野の山自体が京都周辺を模して作られている

寛永寺は比叡山延暦寺に、不忍池は琵琶湖に、弁天島は竹生島に
見立てて築かれている 天海僧正の構想とも言われている


動物園入口近くにある「新鶯亭」散歩途中の休憩に最高


抹茶あん、小豆あん、白あんの3種類の団子がセットになった「鶯団子」


再び上野公園から外へ

湯島の甘味処の「みつばち」。明治42年創業。


100年前から続く氷あずきや栗あんみつが人気だけど、
写真の「小倉アイス」を初めて考案したのがこの店
仕入れで余った小豆あんをアイスに入れてみたというのが誕生物語


入り口上の兎がお出迎え「うさぎや」 大正2年創業
上野松坂屋の斜め前にある和菓子屋さん


ここのどら焼きは故・池波正太郎氏も絶賛
しっとりした皮に十勝産の上品な小豆餡がとろり
うーん、旨い
〜池波正太郎著 「散歩のとき何か食べたくなって」 新潮文庫〜

 [うさぎや]のどら焼きといえば、私が少年のころからつとめていた株式仲買店の主人が、月に二度ほどは、私をよんで、「お前さんのところの近くだから、今日は帰りに、うさぎやへ寄り、どら焼きを買って、明日、もって来ておくれ」  と、たのんだものだ。  翌朝、どら焼きを持って行くと、その中から二個を半紙に包み、 「ごくろうさん」  と、私にくれる。  私が、いい若い者になっても、どら焼きを買いに行かされた。戦争がひどくなって、砂糖などが統制されると、うさぎやも、日に何個ときめられたどら焼きしか売ることができなくなり、私は早朝から行列をして買いもとめ、主人のところへ持って行くと、 「ごくろうさん」  の言葉に変りはなかったが、その内の二個を私に分けてくれるのが、ちょっと惜しそうな顔つきになる主人に、私は苦笑したものだ。  そのころはもう、甘いものをよろこぶ私でもなかったが、主人の惜しそうな顔が見たいので、いつも、もらってきたものだ。 「私は甘いものなんぞ、いりませんから……」  といったら、主人は、どんなによろこんだことだろう。  そのころの甘味の貴重さを、現代の若者たちに語ってみても、何のことやら、さっぱりわかるまい。


おまけの一枚

極楽浄土にて <湯島のとある民家>


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