上野寛永寺



徳川将軍家の祈祷所・菩提寺である寛永寺は、13代将軍徳川家定と天璋院篤姫が眠っていることで近年話題になった。
15人の将軍のうち6人が寛永寺に埋葬されている。3代将軍徳川家光により寛永2年(1625年)に建立されたので年号を
とって「寛永寺」と称した。 開基(創立者)は徳川家光、開山(初代住職)は天海、本尊は薬師如来(重要文化財)。
江戸末期までは、上野公園の約2倍の面積を有していたが、戊辰戦争・彰義隊の戦いでほとんどを焼失してしまい、
さらに明治政府の命令で境内も大幅に縮小され、現在では江戸時代の1/10の規模になっている。

な〜んてことは意識せず、TAKEは夏場に冷たいコーラやスポーツドリンクを飲む格好の休み場として大いに活用している。





寛永寺 開山堂
慈恵大師(良源)、慈眼大師(天海)を祀る


四代将軍出生に際し安産祈願所となり、子授け大師としても信仰を集める





根本中堂
旧寛永寺の根本中堂は彰義隊の戦いで焼失


明治12年に川越市の喜多院本地堂を移したもので、寛永寺本来の
建物ではない。寛永15年建造。堂内に秘仏本尊薬師三尊像を安置する
(堂内は非公開)








徳川家定
病弱だったが、脳性麻痺だったとの説も
米国総領事ハリスを江戸城で引見している


天璋院篤姫
2008年のNHK大河ドラマで脚光を浴びる
女優・宮崎あおいのイメージが強すぎて…


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