月島・佃島・石川島
もんじゃ焼きで有名な「月島」 佃煮屋のある「佃島」 高層マンション群のある「石川島」
まったく世界の違う3つの島が橋でひとつに繋がって、不思議な空間を形作ります。
江戸時代から現代までの記憶のかけらが、次々と眼前に現れます。
■朝潮運河
晴海のトリトン・スクェアでランチ&ビールをのんびりと楽しんだら、
そろそろ午後の散歩に出かけましょう。
朝潮運河を渡って、月島に向かいます。
■月島・もんじゃストリート01
有名なもんじゃストリート。 夜とはだいぶ雰囲気が違い、のんびりムード。
でも、ちゃんともんじゃ焼きのお店は開いています。
今日はお腹一杯なので、このままブラブラ歩きます。
■月島・もんじゃストリート02
地下鉄の月島駅の方向に歩いていったら、賑やかになってきました。
■月島・もんじゃストリート03
土曜の昼さがり、開いているお店はどこも満員です。 みんなで楽しそうに鉄板を囲んでいます。
夕方からはもっと賑やかになるでしょう。
■月島・もんじゃストリート04
ちょっと路地を入ると、こんな感じです。 にゃんこがお出迎え。
■月島
ところどころに古い家が残っています。
■佃島・佃天台地蔵尊
うっかりしていると通り過ぎてしまう狭いところに、なにやらありそうな…
建物をくりぬくように、石に書かれたお地蔵さんと古いイチョウが保存してありました。
■佃島
向こうに見えるペットポトルは、ネコ除けでしょうか ?
■佃島
佃1丁目の波除神社付近の公園から見る、石川島の大川端リバーサイド21。
赤い橋は「つくだこはし」 青空で、景色が映えて、気持ちいい。
■佃島
「つくだこはし」の向こう側。 小船の停泊する小さな内港です。
なかなか味のある景色です。
■佃島・天安
佃島といったら佃煮屋さん この「天安」の創業は天保八年。 天保の天と初代店主の名前
吉の安をとって「天安」。 建物は昭和初期で、屋根の上の看板は創業時(天保!!)のもの。
以上、ネットでの知識の受け売りでした。 受け売りついでに、佃島の名前の由来です。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載
元々の地名は佃嶋(つくだしま)で、現在の佃一丁目に当たる。1590年(天正一八年)
八月一日、徳川家康が関東下降の際、摂津国佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の漁夫33人
が江戸に移り、1645年(正保二年)には現在の地に百間四方の土地を埋め立てて築島し
永住することになり、この島を故郷にちなんで佃嶋と命名した。古い地図を見ると「田」の
字の島が確認できる。現在の地図を見ても、佃一丁目の形状はそのような形状をしている。
■佃嶌
葛飾北斎 「冨嶽三十六景色 武陽 佃嶌」
■佃島
今はなき「佃の渡し」跡付近から対岸の聖路加タワーを見る。
■住吉神社
大阪から家康とともに佃村の漁民が来たが、住吉神社の神様も分霊された。
船の安全の神様として知られています。 奥のほうに二宮尊徳の像がひっそりとありました。
■佃公園
公園内にある「石川島灯台」を再現した建物。 この下はなんと公衆トイレでした。
いまは石川島という地名はないけど、人足寄場(犯罪者更生施設)があったところ。
ところで、この石川島人足寄場、なんと、池波正太郎の小説「鬼平犯科帳」で
お馴染みの、火付盗賊改方・長谷川平蔵宣以(のぶため)が作らせたものでした。
■佃公園
■佃公園近くの隅田川岸
モデルさんの撮影をしていました。
■石川島公園
大川端リバーサイド21の下の公園です。 左は隅田川、右は晴海運河。 突端にいると船の舳先に立っているような感覚です。
ちなみにリバーサイド21の住人には、芸能人、スポーツ選手など有名人も多いそうです。
■あちらは豊洲 ?
向こうに見えるのは、たぶん豊洲 。
あちらに渡って月島側を見たかったけど、もう足がくたくたでしょ?
月島駅から帰りましょうね。
撮影データ
06.09.23, KONICA MINOLTA α Sweet DIGITAL , TAMRON AF XR DiII 18-200mm f3.5-6.3 A14