日本橋人形町
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江戸時代に、人形を作る人、人形を操る人形師が大勢暮らしていたのが、「人形町」
の名前の由来です。 今の正式な町名は「日本橋人形町」といいます。
その昔、この辺りに「吉原」がありましたが、明暦の大火(1657年)で消失して、
今の千束町に移転しました。 千束町を「新吉原」というのに対し、「元吉原」と称しました。
遊郭の面影はないけれど、「大門通り」という通りの名前が残っています。
今では、安産の神様として有名な「水天宮」や「甘酒横丁」という商店街、すきやきの「人形町今半」や
軍鶏なべ・親子丼の「玉ひで」などの有名な老舗や、江戸職人の店など、みどころ満載のエリアです。
それでは、さっそく下町の人情味あふれる人形町へ。 まずは、洋食屋さんで腹ごしらえです。
人形町の紹介サイト http://www.surmt.co.jp/ningyo/
■洋食キラク
人形町駅から0分のビーフカツで有名な「洋食キラク」です。
肉がミディアムのビーフカツ、バター醤油味のソースが最高のポークソテー。
戦後の屋台が前身の、カウンター12から13席のお店。
おばちゃん達が元気に働いています。 先代のおやじさんの味の方が良かったとの
評価もあるようですが、それでもたいてい店の前の狭い歩道に人が並んでいます。
回転はいいので、ちょっと待つと入れますよ。昭和の食堂という感じでよい雰囲気。
← ビーフカツ
■キラクのハンバーグ
これは、有名なビーフカツではなくて、ハンバーグ。
でも、とってもジューシーで柔らかで◎ マカロニも美味しい。
別に「串カツ」を1本注文するのもよし。
待っている人のために、長居はせず、さっそく散歩にでかけましょう。
← 串カツ
■三光稲荷神社
地理的には、先ほどの洋食キラクから小伝馬町方面に進んだ辺りの小さな神社です。
失せ猫(迷い猫)祈願に霊験あらたか。 迷子の猫が戻りますようにと、愛猫家の参拝
が絶えないそうです。
写真はないけど、「三光稲荷参道」と銘の入った石碑(昭和29年建立)があるのですが、
これは東京大学教授三島徳七夫妻が祈願し、愛猫が3か月ぶりに無事戻った御礼に建立
したものです。
■三光稲荷神社の招き猫
右下は、猫が無事に帰ったお礼にと奉納された招き猫のようです。
昔は猫の絵馬が奉納されていたらしい。いまは見かけませんでした。
ところで、右上の写真の鳥居の横ですが、「狛犬」が阿吽の二対。
?? 普通は、神社って「お狐さま」じゃないですか?
■「よし梅」(たぶん(^^ゞ)
さて、三光稲荷神社とは逆方向、水天宮方面に向かいましょう。
マグロのトロの「ねぎま鍋」で有名なお店。だと思います。
写真の整理が悪くて… 大物有名人?も通う個室中心の大人の隠れ家。
TAKEにはまったく縁のない世界の話です。
かつては芸者の置屋だった建物だということです。って建物が写っていない !
■大観音寺の入口付近
先ほどの「よし梅」の反対側にあるお寺のお地蔵様。
確か「願いの地蔵尊」だったと…
大観音寺はこの前にあります。 写真 ? 撮り忘れました。
■うぶけや
天明3年(1783年)創業の刃物の老舗です。
「うぶけ」は「産毛」
産毛も剃れる「包丁」、産毛も切れる「鋏」、
産毛も抜ける「毛抜き」はいかがですか。
包丁の砥ぎもしてくれます。
■古い家は異次元への入り口
もと何かのお店だったような古い建物が並んでいました。
変なキャプションを付けましたが、古い建物は何だか、そこだけ
時が止まっていて、違う空間にあるような気がするのです。
… ちょっとエアコンの室外機が邪魔です。
■甘酒横丁
いよいよ甘酒横丁に入っていきます。
甘酒横丁交差点から明治座までの400mに、表具、つづら、
三味線などの老舗や有名なたい焼き屋さん、玉子焼きが
美味しい鶏肉屋さんなどが軒を連ねています。
この辺りに駐車している車に、割と高級車を見かけます。
お金持ちが下町の老舗を訪ねてきているのでしょうか。
■人形町 今半
すき焼、しゃぶしゃぶで有名な「今半」
一度食べてみたいなあと思っているんだけれど、
入り口のお品書きを見ていると…
平素の飲み代やカメラにかけるお金を節約すれば、
どうってことないのですが。
人形町 今半 http://www.imahan.com/guide/shop/ningyocho_shop.html
■人形町 今半
今半は、明治28年に黒毛和牛専門店の牛鍋屋として浅草で開業。
人形町今半は、浅草今半の支店がルーツ。
明治政府認可の牛の食肉工場が今里村(現、芝白金付近)にあり、
今半は今里村から来た牛肉だけを使用しています、と言う意味と
当時流行った今様(いまよう)と言う語句の「今」の文字を使ったと
言われています。そして、「半」は創業者の名前が「半太郎」という
ところから屋号を「今半」としました。
人形町今半は、昭和27年「浅草今半日本橋支店」として開業しました。
その後、先代が各々発展しなさいという事で、昭和31年、2つの店を
別々に分け浅草今半、人形町今半とし、浅草今半は長男が後を継ぎ、
人形町今半は次男が後を継ぎました。(今半のHPより)
■岩井つづら店
元禄時代の初期に、神田の職人によって「つづら」は誕生しました。
通気性が良くて、軽くて、丈夫で、防虫効果が高く、なにより美しい。
この店のような高級なものではなかったけれど、我が家にも昔あったと思う。
母の実家の蔵にはまだあるかも。
岩井つづら店の紹介HP http://www.tokyochuo.net/issue/traditional/2004/06/index.html
■このお人形は…
この人形、確か岩井つづら店の入り口横のウインドウに
あったのではないかと思います。
本当に整理が悪くてごめんなさい。
■これらの写真では、甘酒横丁の全体像は分かりにくいと思いますが、
懐かしい気持ちになる街です。
この街、夜はいったいどんな雰囲気になるのかな?
TAKEはあまり夜の撮影に出ないので、いつか夜に来てみたいと思います。
■たい焼きの「柳屋」
鯛焼きひと筋80年。薄皮にたっぷり餡。…と書いたけれど、
TAKEはまだ食べたことがありません。というのも、いつでも行列ができているから。
TAKEは気が短くて、並ぶのが苦手。 でも焼きたては美味しいのでしょうね。
こんど行ったら並んでも食べてみようかな。
1コ 130円(H20.9月現在)
■尾張屋跡
甘酒横丁の名前の由来。
明治の初め頃にこの横丁の入り口の南側に尾張屋という甘酒屋が
あったことから、昔は「甘酒屋横丁」と呼ばれていたそうだ。
■水天宮へ
甘酒横丁を後にして、水天宮に向かいましょう。
もうすぐそこですよ。
■重盛永信堂総本店
ゼイタクせんべいと人形焼のお店です。
人形焼は分かるけれど「ゼイタクせんべい」とは?
戦争中、貴重品の卵や砂糖を使った「贅沢な」お菓子だから。
このお店、巣鴨の地蔵通りにも支店がありました。
■やっ、焼き豚サンド !!
やられた。これを食べないで素通りなんてできない。
という訳でひとつ購入となりました。 うん美味。
水天宮のすぐ近くのお店です。
■駄菓子屋さん
水天宮のすぐとなり、というよりすぐ下にあります。
駄菓子を見るとついつい見入ってしまいます。
■水天宮遠景
水天宮は、階段を上った高いところにあります。
■水天宮
水天宮は、安産、子授けで有名なお宮です。
ビルに囲まれた一角は別世界。夫婦の願いと幸せに満ちています。
戌の日にはとても賑わいます。
■大願成就
TAKEも昔、妻と両親とでここに来ました。
授かった赤ちゃんは二人ともなんとか無事に育っています。
水天宮のお陰です。
■水天宮由来
今回「水天宮」の由来を調べたら、なんと平家・安徳天皇、
壇ノ浦の合戦にまで話が遡りました。
詳しくは水天宮のHPの「水天宮ものがたり」をご参照ください。
水天宮HP http://www.suitengu.or.jp/index.html
■奉納
歴史を感じる額がたくさん奉納されています。
■ラムネはいかが
いやー、あまりに暑いので、ここでラムネを買って飲みました。
■犬印妊婦帯って知ってる?
そういう名前の商品があったのを思い出しました。
さすが水天宮。露店の商品が他の神社とは違います。
■子宝いぬ
妊婦さんがこの犬を"なでなで"していきます。
犬のお産は安産だから。
■七五三 ??
9月なのに七五三? と思ってしまいました。
たぶん、昨年作った晴れ着でしょう。
■隅田川へ
さて、水天宮を後にして、隅田川に風に吹かれに行きましょう。
それにしても、この招き猫急須、よっぽど買おうかと思いました。
■中央区立有馬小学校
創立135周年(H20現在)の日本橋蛎殻町にある小学校です。
何だか絵になるなあ、と思い写しました。
明治6年に旧久留米藩主の有馬頼咸(よりしげ)氏の寄付により
幼童学所として創立した。
ちなみに全国総本営の水天宮は久留米市にあります。
社地と社殿は有馬家の寄進によるもの。そういった縁からか。
こちらの水天宮は、もともと現在の港区の有馬藩江戸屋敷に分霊
されたものでした。
■隅田川
いつものように、隅田川の風に吹かれてお開きです。
人形町は半年に一回は訪れています。こんどは暮れか正月かな。
撮影データ
07.9.15 , SONY α100 , CASIO EXILIM EX-Z500