本郷・菊坂 T
東大のある街、文京区本郷。
学生の街というだけでなく、古い旅館が点在するノスタルジー溢れる街、
樋口一葉や石川啄木などの文人が住んでいた文学の街でもあります。
今回は遠く明治の頃に思いを馳せながら、文学散歩に出かけます。
■源覚寺(こんにゃくえんま)01
都営三田線の春日駅を降りて、本郷とは反対側の小石川の源覚寺へ。
TAKEは眼が悪いので、眼病治癒のご利益があるこの寺にまずはお参り。
目をわずらった老婆から祈願されたえんま様が自分の右目を与えて目を治し、
老婆は自分の好物のこんにゃくを絶ってお礼に供えたというのが由来。
■源覚寺(こんにゃくえんま)02
- 塩地蔵 -
源覚寺の境内に「塩地蔵」という塩まみれのお地蔵さまがありました。
歯痛で悩む人が塩を供えて祈り、治った後で塩を倍にしてお礼参りするのが
決まりのようです。
■鳳明館
戦前は学生下宿だったが、戦後旅館に改装された「登録有形文化財」指定の建物。
この本館の他に台町別館、森川別館も付近にあります。いずれも味のある建物。
人通りの少ない裏通りにひっそりと建っています。
登録有形文化財 文化庁のHP
■徳田秋声旧宅
路地の中にまぎれていて、うっかりしていると通り過ぎてしまいます。
「あらくれ」などで知られる小説家の住まい。昭和18年73歳で没するまで、
この家で書き続けました。
書斎や蔵書などが残っているらしいのですが、残念ながら中には入れませんでした。
■太栄館01
「一握の砂」「悲しき玩具」で知られる石川啄木ゆかりの宿ですが、残念ながら
昭和29年の火事で、当時の建物は消失してしまいました。
当時は「蓋平館別荘」という名の下宿屋だったそうです。
■太栄館02
玄関横に由来を書いた札がありました。
明治41年、北海道放浪を経て上京した啄木は、赤心館という下宿に住んだが、
家賃を滞納して出て行かざるを得なくなった。
このとき、友人の金田一京助の世話で、この下宿屋の3階の三畳半の部屋に移ったのでした。
「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる」
■本郷館01
通りを歩いていたら、古い3階建ての巨大な木造建物が見えてきました。
このときは本郷館というものがあることを知らなかったので、
これは一体なんなのだと思いました。
いまにも崩れそうに見えて、正直怖いような気もしました。
今では、地震があると本郷館は大丈夫かなと思ってしまいます。
■本郷館02
明治38年築で内部には70室もあり、中庭まであるそうです。
下宿屋というかアパートというのか、今でも人が住んでいます。
「見学お断り」や「のぞきこみお断り」の紙が貼ってありました。
そう言われると、とっても中が見たくなってしまいました。
■奥の細道
本郷周辺は宅地が入り組んでいて、このような味のある路地や建物が沢山あります。
思わず「奥の細道」と名づけたこの道に電球が灯る頃にもう一度来て撮影したいけど、
方向音痴なので二度と行けないでしょう。
■蔦の家
蔦の絡まる建物は沢山あるけど、これまたすごいですねえ。
家の中まで蔦だらけじゃないかと思うくらいです。
本郷Uへ
撮影データ
2005.7.24 , NIKON D70 , 24-120mmVR