箱根湯本_三枚橋 小田原からではなく箱根湯本から旧道を目指す だから正確に言うと「八里」には少し足りない |
箱根湯本 ここはもう旧東海道。藤を眺めつつ、まだ緩い勾配を行く |
早雲寺 |
早雲寺 北条早雲の子北条氏綱が京都大徳寺の以天宗清を招き創建 小田原の役で豊臣秀吉軍の本営が置かれたことでも有名 |
降り出した雨が少し強くなり、ここで雨宿り 小雨になったら雨の中を往くのも趣き深い(と思うことにする) |
どうやら小雨になったようなので、お徒歩(かち)を再開 |
旧湯元茶屋村の境を悪霊から護る道祖神 村の守り神、子孫繁栄、旅の安全の神である |
手を取り合っている男女双体の道祖神 |
箱根に入って最初の石畳である 唯でさえ歩きにくいのに、濡れて滑って少し怖い |
鎖雲寺 浄瑠璃や歌舞伎「箱根霊験記」の飯沼勝五郎と妻・初花(はつはな)の 墓がある。 父の仇討ちのために妻と諸国を旅する話らしいが実話か? |
鎖雲寺の初花堂 |
須雲川自然探勝歩道 川沿いの遊歩道を通って畑宿に向かう |
須雲川が見えてきた 箱根の山は天下の険・・・と口ずさみながら下る |
静けさの中に、清流の音がさわやかに響いている |
しっとりとした緑の森の空気をいっぱいに吸い込む |
遊歩道が途切れた。どちらに向かえばいいのか |
どうやら、この橋らしき「板切れ」を渡れということらしい 増水時は危険なので渡るべからずとの警告板が脳裏をよぎる |
「板切れ」の途中で下流を眺める 構図を考えている余裕はない |
割石坂付近 ここから石畳になる 須雲川自然探勝歩道はまだまだ続く |
雨に濡れた石畳がいかにも永い時を刻んでいるよう |
江戸時代は雨が降ると泥の川状態だったそうだ 滑って転ばぬよう、先人の苦労を偲びつつ歩む |
もうすぐ畑宿 戦国時代は「畑の宿」と呼ばれ、箱根越えの旅人の休憩所だった いまは「寄木の里」と呼ばれ、寄木細工のさかんな場所 |
「つたや」この構えは宿屋か 芦ノ湖畔の宿もいいが、こういう山中の宿にも趣がある |
畑宿本陣跡 |
本陣跡といっても、碑と花があるだけ |
寄木細工はかなり高価でTAKEの懐具合では・・・ |
畑宿の一里塚 江戸から23里目 − 東海道では数少ない一対が揃う一里塚 |
七曲がり付近 県道に出ると、七曲がりと呼ばれる急坂が続く |
七曲がり付近 |
七曲がり付近の橿木坂・・・道中一番の難所 "橿の木の、さかをこゆればくるしくて、どんぐりほどの涙こぼる" |
七曲がり付近の橿木坂 195段という階段に膝関節症の膝が軋む |
猿滑坂 申年生まれのTAKEも滑る |
箱根旧街道資料館 甘酒茶屋の隣りの休憩所付資料館 |
箱根旧街道資料館 大八車?を見ながら汗を拭う |
甘酒茶屋 やっとここまでたどり着いた |
甘酒茶屋 茶屋の名前にある甘酒にしようか・・・ |
甘酒茶屋 結局、あべ川餅にする 美味なり |
霧のかかる二子山を望む |
二子山山麓の古池"お玉ケ池" |
お玉ケ池 江戸に奉公に出たお玉は故郷が恋しくて関所を破る |
お玉ケ池 獄門となったお玉の首を洗ったという悲話が今に伝わる |
やっと今夜の宿に着く… 疲れ果てた脚が高台への坂に竦む 万歩計のカウンターは16,000歩。 もっと歩いたような 気がするのだが、登り道だったからなのか |
5月の連休のこととて、宿代は嵩んだが、風呂と食事は ◎ 洋食のフルコースなんぞ、旅先でなければ、ありつくことは無い |
|
2日目 〜芦ノ湖畔→ 箱根峠→ 三島 〜 翌朝、脚のむくみは何とか回復していた 今日は峠を越え、遠く三島宿までの道のりを走破しなくてはならない 腹ごしらえして、いざ出発 ! |
|
箱根神社 宿からの坂を降りて、芦ノ湖畔の箱根神社に向かう 勿論このショボい鳥居は正面のものではない |
開運で名高い関東総鎮守箱根大権現の箱根神社 横丁から入っても霊験に差はないだろう 身を清めてから本殿に参拝する |
箱根神社本殿 AM9:20 まだ参拝者は少なく、凛とした空気に包まれる |
天孫降臨の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、その妻の 木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)、息子の彦火火出見尊 (ヒコホホデミノミコト)の三神を祭る |
箱根山の駒ケ岳、神山をご神体とする山岳信仰の霊場でもある 箱根神社HP http://hakonejinja.or.jp/ |
芦ノ湖の「けけら木」 太古の昔、地震で芦ノ湖の底に地滑りした樹木の化石 |
この木は、先年、台風で芦ノ湖が荒れたとき、浮んできたもの トリケラトプスの骨…と思ったのはTAKEだけ? |
平和の鳥居 今上天皇の立太子礼と日本の独立(講和条約締結) を記念して昭和27年に建立したもの |
芦ノ湖 約3000年前、神山が爆発した際、山体崩壊により誕生したカルデラ湖 |
ニジマスやブラックバスなどの外国産魚が放流されてきた歴史がある ブラックバスは1925年に日本で初めて放流された |
霞んで見られなかった富士が顔を出してくれた |
|
山中の海賊船?に巨大な灰色の計器箱 電柱・電線、高速道路の架橋、無粋な看板と同じでTAKEが嫌いなパターン 貴重な景観を護るため、お互いに知恵を出し合えないものか |
賽の河原 地蔵信仰の霊地として、江戸時代東海道を旅する人々の信仰を集めた 多数の石仏があったが、明治の廃仏毀釈や観光開発により大きく縮小した |
杉並木 |
箱根八里の碑 箱根の山は 天下の険 函谷関も物ならず 万丈の山 千仞の谷 前に聳え後に支う 雲は山をめぐり 霧は谷をとざす 昼猶闇き杉の並木 羊腸の小径は苔滑か 一夫関に当るや万夫も開くなし 天下に旅する剛毅の武士 大刀腰に足駄がけ 八里の岩根踏み鳴す 斯くこそありしか往時の武士 (鳥居 忱詩、滝廉太郎曲) |
恩賜箱根公園 県立恩賜箱根公園は、「旧函根離宮」跡地に広がる |
関東大震災などにより離宮は崩壊したが、これは 再現された2階建ての洋館「湖畔展望館」 |
湖畔展望館_旧離宮からの眺め |
雲がなければ、このように富士山が見えるはずだ |
箱根関所 |
皇居東御苑の百人番所を思い出した |
旅人が差し出した箱根関所を通行するための証文を改める役人 |
「人見女」 女性の髪を解いて取調べる 大名の妻「出女」だけでなく女性には特に厳しかった |
現代では外国人女性も不都合なく通行する |
箱根駅伝広場 ゴール近くに所在 |
箱根峠の手前「箱根やすらぎの森」 |
|
コンビニ弁当をつまみにビールを飲む 雲をかぶせた山は駒ケ岳か二子山か? |
これから向かう三島宿までの長い道のりを思い、ビールは1本で我慢 |
だいぶ標高が高くなってきたのか、芦ノ湖が小さく見えた |
ここが箱根峠・・・ 想像していた峠のイメージを 見事に裏切る普通の交差点 |
三島までは3里12Km 下りだから楽勝、と思ったのだが・・・ すべる石畳と何処までも続くアスファルトの苦行をここで思い至るはずもない |
妻は元気にどんどん先を行く。底なしの体力に畏怖すら覚える |
「新箱根八里記念碑(峠の地蔵)」お地蔵さんをモチーフにしたオブジェ 「夢に向かってもう一歩」向井千秋、など有名人の思いも書かれている |
|
国道から右に入り「接待茶屋跡」ら旧道を行く 文政7年(1824)江戸商人の加勢屋與兵衛の寄付で茶屋を建て、 通行人に粥を供した |
|
鬱蒼とした山道が続く 葉っぱが滑って案外歩きにくい |
|
石畳は滑るしゴツゴツとして歩きづらく、疲労感が高まる |
景色の開けた山中新田の手前で小休止 |
唐突に民家の庭先に出る |
道を間違えたわけでもなさそうだ 国道に出て少し行くと、山中新田に至る |
山中城跡 北条氏康が小田原城を防衛するために築いた城 秀吉の北条氏討伐の戦で、半日で落城した |
|
柴切地蔵 行き倒れた旅人の遺言で、故郷の常陸が見えるように 芝塚を築き地蔵尊を祀った |
|
駿河湾 三島市かな まだまだ終点は遠そうだ |
|
「こわめし坂」とは 坂が急なので背負った米が、汗と熱でこわめし(おこわ)になったという由来 |
長坂(こわめし坂) |
突然道端に六地藏 |
臼転坂の富士山 |
臼転坂の富士山 |
初音ケ原の杉並木 |
初音ケ原からの富士山 |
初音ケ原からの富士山 |
初音ケ原からの富士山 |
錦田一里塚 江戸から28番目(112Km)の一里塚 |
愛宕坂 |
愛宕坂 |
新町橋 やっと三島市に入ったらしい 江戸の頃より富士眺望の名所である |
雲から少し顔を出してくれた |
どうにか三島宿に到着 疲労困憊だが、 気力を振り絞って三嶋大社を参拝する |
|
三嶋大社HP http://www.mishimataisha.or.jp/ |
|
天然記念物の金木犀(樹齢1200年) |
|
無謀にも思えた箱根越えを達成できたのは やはり日々の散歩、町歩きの成果だと思う それにしてもTAKEを凌駕する妻の脚力には舌を巻いた |
三島駅前で万歩計を見ると、何と30,962歩 記録達成 駅前の居酒屋で妻と祝杯をあげる 本当に疲れたが、達成感、充実感が湧き上がった |