赤羽岩淵水門周辺 (川の中の島 1)



川本三郎氏の東京の町歩きの本を読んでいたら、23区内の川の中にある島は
2つだけとありました。荒川は赤羽岩淵の水門公園(中之島)と旧江戸川の妙見島です。
赤羽岩淵の水門公園は行ったことがあるけれど「島」だとは気がつかなかった。
そう思うと居ても立ってもいられない気持ちに。 もう一度行かなくちゃ ! 




  ■赤羽志茂4丁目

     赤羽駅から荒川方面をつなぐ幾つかの商店街を抜けてきました。
     猫がいればカメラを向けるのは、ほとんど無意識下の行動になっています。



■熊野神社

 川はもうすぐたげど、神社でちょっと一休み。

■熊野神社

 白薔薇が青空を背景に輝いていました。
 でも、ちょっと暗いなってしまった。 レフ板があればいいけど。


   ■ここでも猫が挨拶に



■川沿いの道はつづく

 川に出たのになかなか上がれません。

■荒川知水資料館

 「治水」ではなく「知水」です。
 荒川の自然と荒川放水路治水の歴史を知ることができます。

   荒川知水資料館 http://www.ara.go.jp/amoa/voice/group_info.html

   荒川放水路とは(Wikipedia)

   

    ■放水路完成記念碑

     氾濫を繰り返す荒れる川「荒川(隅田川)」を鎮めるため、放水路を作って増水時の水量を調整することに
     なりました。 この碑は完成記念のものですが、多大な苦労と犠牲者があったため、最大の功労者である
     青山士は、自らの名前を彫らせませんでした。



■難工事

 隅田川と呼んでいる川はもともと荒川であり、隅田川は下流部の俗称
 (江戸時代の俗称は「大川」)でした。 赤羽岩淵水門より下流の
 現在「荒川」と呼んでいる川は、人間の手で掘られた人口河川なのです。

 明治43年の大洪水に端を発して、帝都の抜本的水害対策のため、
 政府は「荒川放水路」建設に乗り出しました。

■難工事

 1913年(大正2年)から1930年(昭和5年)まで、工事には何と17年
 という歳月を要しました。 手作業の工事に加え、出水や土砂崩れなど
 により、30名近くの犠牲者が出ました。

■青山 士

 内務省土木技官の青山士が工事責任者。
 この人の存在抜きには、荒川放水路工事の歴史は語れません。

■旧岩淵水門工事

 青山士の設計で頑丈な水門を建築しました。 これほどまでに堅牢
 にする必要があるのかと言われたそうですが、関東大震災でビクとも
 しなかったことから、そうした非難は霧消しました。

■旧岩淵水門の通水式



■現在の旧岩淵水門

 現在は、老朽化や計画高水位の変更により使われていません。
 歴史的建造物として保存されています。 向こうの緑は、今回の目的地
 の「中之島」。水門公園と呼ばれているようです。



    ■boardwalk

    左写真: 荒川沿いにはボードウォークがあります。
    右写真: 中之島の向こうは川口市です。
           ひときわ高いビルは「エルザタワー55」というマンション。



■岩淵水門

 旧岩淵水門に代わって建設された水門。洪水時には扉を閉めて
 荒川から隅田川への水の流入を防いでくれます。
 ここから下流が隅田川となる訳です。

■中之島

 中之島(水門公園)でお弁当を食べました。
 食後には、草の上に横になって空を眺めていました。
 とっても、のどかな時間が流れていきます。

■草刈の碑

 島には「草刈の碑」というのがありました。
 昭和13年〜18年の5年間、荒川土手で草刈競技が行われていたそうです。
 全国的行事で、草刈日本一の栄冠を争ったのだ!!
 当時の様子が目に浮かぶ… いや、いまいちピンとこないなあ。

 碑文には、「農民魂は 先ず草刈から」と書いてありました。

■上流方向

 荒川上流方向を望む。 ここからは見えないが、左の方向に
 新河岸川があり、新岩淵水門の先で合流し、隅田川となります。

 位置関係は、一番上の航空写真を見てください。

■分水ポイント

 中之島から下流方向を望む。 右が新岩淵水門で「隅田川」
 左は「荒川(放水路)」です。

 アイレベルからの写真で分かりづらいですね。

■釣り日和

 

■「月を射る」

 荒川リバーアートコンテスト特賞の「月を射る」だそうです。

 作者の「青野正」氏のコメントに、「形あるものの消え行く時間、
 造られたものが風化され「風になる」という遥かなことに思いを
 巡らせている」と書いてありました。

■水位標柱

 過去の洪水の水位を示した標柱。今の水位と比較できる。
 一番上の印を見ると恐ろしくなりますね。

■上位6例

 カスリーン台風というのは聞いたことがあります。
 キャサリン台風とも発音します。 連合国軍の占領下の時代で
 女性の名前の台風なのです。

 死者は1,077名、行方不明者は853名、負傷者は1,547名。
 住家損壊9,298棟、浸水384,743棟、耕地流失埋没12,927ha
 罹災者は40万人に及ぶ。

■毒蛇注意

 マムシの類ではなさそうなので、ペットが放されたものか。





■新河岸川

 新河岸川沿いに歩いて、東京都23区内に唯一残る酒蔵の
 「小山酒造」に向います。

■小山酒造



■小山酒造

 どうやら工場には入れないようなので、
 通りに出て販売所に行きましょう。

■小山酒造

 清潔な店内で好印象。 車で通るたびに、いつか買ってみたいと
 思っていました。 そのことを言うとオヤジさんが嬉しそうでした。

■小山酒造

 「丸眞正宗」がこの店のオリジナル。
 もちろん買って帰りました。 辛口でとても美味しかったです。

■酒瓶をぶら下げて薔薇の鑑賞

 赤羽駅までの帰り道にあった民家のトタン壁の薔薇。

■ツバメの巣作り

 商店街のお店の軒下にツバメがいました。 もうそんな季節なんだ。
 東京にもツバメがいるのです。

撮影データ
2007.05.20, SONY α100 DSLR-A100, TAMRON AF XR DiII 18-200mm f3.5-6.3 , TAMRON SP AF17-50mm F/2.8 XR Di II



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